●湘西-沈従文研究-

 『湘西-沈従文研究-』は、近代中国の作家である沈従文(1902〜 1988)の研究を目的として創刊されました。

 沈従文は、湖南省西部、すなわち湘西の鳳凰県の軍人の家庭に生まれまし た。湘西は漢族・苗族・土家族の雑居地帯であり、複雑な文化状況を呈して います。沈従文も、漢族として育ちましたが、父方の祖母は苗族であり、母 方は土家族でした。つまり漢族と少数民族の混血児であったわけです。
 沈従文自身の言葉を借りれば、湘西は「ほとんど文化の外」にあった土地 ということになるのですが、彼はそこでわんぱくな少年時代を過ごします。 川遊び、コオロギ相撲、サイコロ賭博、鬼やらいの儀式や罪人の処刑の見物 ……。わんぱくがあまりに過ぎて、小学校卒業後、当時の湘西軍閥の一兵卒 となったのです。
 湖南の一兵卒としての暮らしは、くり返される殺し合いを目の当たりにす ることでした。沈従文の所属していた部隊は、少数民族の掃討作戦に参加し たり、他の軍閥との戦いに参加したりし、ときには彼らの部隊が全滅に近い 被害を受けることさえありました。
 沈従文は、そんな生活に嫌気がさし、おりしも遠い都の北京で新しい文化 運動が起ったと耳にしたものですから、1923年、つまり21歳のときに単身上 京しました。勉強したいの一念、他にはなんの伝手もない上京でした。貧困 の中で作家となることをこころざし、当時まだ発展の途上にあった、北京の 新聞や雑誌に投稿をはじめます。沈従文は、中国近代文学における、初めて のプロ作家となったのです。この境遇から、中国近代文学まれに見る多産作 家となり、またさまざまな文体を駆使した文体作家ともなったのでした。
 沈従文は、やがて上海に出て、同人誌の出版に携わったり、大学教師とし ての生活を送りながら、数多くの作品を発表しつづけました。1930年代から 40年代にかけては、武漢・青島・北京・昆明を転々とし、作家・教師・教科 書や雑誌の編集者と何足もの草鞋を履きながら、『従文自伝』(1931)、 『辺城』(1934)、『湘行散記』(1936)、『長河』(1945)などのすぐれ た作品を書いていったのです。
 1949年の中華人民共和国の成立後は、左翼文芸とは一線を画した作風から、 「反動作家」として厳しい批判を受け、ついには筆を折ることを余儀なくさ れたのでした。そして、故宮博物院や中国社会科学院で古代文物の研究に専 念し、『中国古代服飾研究』という大著を出版しています。

 1949年以前の作家時代、それ以後の作家としての存在さえも抹消された時 代、80年代前半の中国における沈従文再発見の時代、ノーベル文学賞候補に ノミネートされ、中国近代文学における屈指の作家と評価された時代、沈従 文の人生はまことに数奇なものであったわけです。

 『湘西』は、冒頭に申し上げたとおり、そんな沈従文の研究を目的として 創刊された同人誌であります。沈従文という作家がさまざまな側面をもって いますので、同人もさまざまな視点からいろいろなアプローチを行うことに しています。
 しかし沈従文という作家に対象を厳密に限定することもしていません。な ぜならば彼の故郷の湘西そのものが、少数民族の風俗、たとえば鬼やらいの 仮面劇である儺戯や歌垣などをもつ興味深いところだからです。
 それでは『湘西』創刊号の各文章の内容を簡単に紹介したいと思います。

沈虎雛(福家道信:訳、原文付き) 「作品についての沈従文の談論を思いだすままに」は、 沈従文の御子息である沈虎雛氏が父の晩年の姿を回想したものです。天真 爛漫であった沈従文の人柄が、近親者の目を通して生き生きと描かれてい ます。

田時烈(福家道信:訳、原文付き) 「鳳凰県、苗族の風情あふれるばかりに」、「幼い頃の沈従文先生の逸話」、 「風動岩--鳳凰県見聞一瞥」は、前鳳凰県旅行局長の故 田時烈氏の遺稿であり、鳳凰県の苗族の風習や鳳凰県に伝わる沈従文の伝 説を記録したものです。県随一の鳳凰通による地元紹介です。

中野徹「鳳凰県城探検記」 は、武漢大学に留学していた中野氏が鳳凰県城をみずからの足で歩 き回り、地名などを田氏からの聞き書きをもとに記録したもの。地名索引、 写真多数、地図数種の付録つきです。『従文自伝』などの作品を読むうえ で便利なものとなっています。また鳳凰県を訪れるときのガイドブックと しての用途も考慮されています。

土屋美津江「沈従文『辺城』にお ける恋愛」は、代表作『辺城』に描かれる、辺境の少女 の翠翠と天保・儺送兄弟の恋愛の意味と性格とを論じたものです。沈従文 が翠翠の悲恋に共同体と個との矛盾を描かなかった理由を考察しています。

城谷武男「“油坊”を知る」 は、鳳凰県郊外の製油場をじっさいに訪れたときの記録です。“油 坊”は、沈従文の作品にしばしば登場し、象徴的な意味をもつ場所です。 しかしその具体的なようすは、とりわけ外国人にとっては、なかなか理解 しがたいものでした。『阿黒小史』などの作品を読むとき、また“油坊” の民俗的な意味を知ろうとするとき、参考となるものです。写真多数収録。

斉藤大紀「鳴け、北京のニワトリ --五・三○運動、活字メディアと沈従文--」は、沈従文 の1925年の作家活動を論じたもの。沈従文が、五・三○運動の時期に作家 として挫折していたのではないかとしています。

沈従文(小島久代:訳)「巧秀と 冬生」は、沈従文40年代の珠玉の本邦初訳。湘西の少女 の巧秀の恋愛と出奔を描いた作品です。湘西の民俗・風習を織り交ぜなが ら、母と娘、それぞれの恋愛とその悲劇が淡々と切なく描かれています。

 『湘西』創刊号は、沈従文を記録した回想文、鳳凰県を紹介・記録した、 資料性の高いレポート、それぞれのテーマから沈従文を論じた論文、これ まで日本語になっていなかった沈従文作品の翻訳からなっています。